真田太平記

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    先日1年以上掛けて真田太平記のDVDを見終わりました。
    真田太平記は池波正太郎原作で、小説では文庫本全12巻、映像は1985年にNHKで全45話で放送されたものです。大河ドラマでは無いのですが、扱いとしては同じ様なものです。

    最初に原作を読んだのは20歳位の時。それからはまりまして何回も読み直し、10回以上は読んでいる。また、池波正太郎が真田太平記以外でも真田を取り扱っているのを知って、それらも読み漁りました。他の作者の真田ものも読みましたが、最初に受けた印象などから、やはり池波正太郎の真田が一番しっくり来ます。
    結婚してたまたまかみさんに紹介したら、こちらもはまりまして、何気に新婚旅行のようなものでは長野県上田市にある「池波正太郎真田太平記館」に行ったりしています。
    それだけにこのDVDはずっと見たかったのです。

    今から30年近く昔の映像なのでセットの古さや合成技術の低さなどは感じますが、原作・脚本・演出・俳優・演技などどれをとっても素晴しくとても満足です。
    真田昌幸(丹波哲郎)を始め、真田信幸(渡瀬恒彦)・真田幸村(草刈正雄)・小松殿(紺野美紗子)と言った一族から、壺谷又五郎(夏八木勲)・お江(遥くらら)・向井佐平次(木之元亮)の架空人物、徳川家康(中村梅之助)・徳川秀忠(中村梅雀)などの有名人物まで、その演技はもちろんですが、原作のイメージと立ち振る舞い・雰囲気がしっかりしています。最近の俳優主導の配役と脚本の時代劇・大河ドラマとは比べるのが失礼です。

    家康の狸ぶり、秀忠の七光りぶり、石田光成・大野修理の神経質・戦下手ぶりなど、一般的なイメージ通りですが、主役は真田家なので脚本はそちらで頑張れば良いので、脇役はイメージ通りで丁度良い。むしろ脇役までいじくってしまっては、創作ドラマになってしまいます。

    話自体は原作を何度も読んでいるので、少し記憶があやふやな部分を補完する程度。メインはそれらの話をどのように演出しているかです。
    原作を読んでいる時も、自分の頭の中で人物や情景などを描いていますが、当時の時代背景・生活状況などイメージしきれない部分があります。また、池波正太郎の描く世界、この独特な世界も味わいたい。他の池波作品での描写などから人物像はどうにか近づけても情景などは厳しいので、その辺が楽しみです。

    情景などは古い時代なので細かく作りこまれていませんが、それでも最低限はしっかりと時代背景を盛り込んで作られていますし、不自然な所はありません。そして、役者の演技・間・立ち振る舞いにのめり込んでしまうので、その様な部分は気になりません。音楽・効果音も少ないですし。

    そして予想通りというか、それぞれのシーンは格別です。
    それも合戦シーン、知謀シーンと言った戦国時代では無くてなならないシーンではなく、昌幸と又五郎・信幸と右近・幸村と佐平次と言った主従関係の主従を越えた人心のやりとりに引き込まれます。
    特に大阪の陣の対面は感動です。

    池波正太郎原作のドラマは鬼平犯科帳・剣客商売・藤枝梅安の3大シリーズが有名です。僕はまだこれらを観た事がないのですが、この真田太平記を観た後では期待感が高まります。
    他の大河(武田信玄・独眼竜政宗)などもあるので、当分楽しめると思います。

    白痴

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      白痴 - ドストエフスキー

      題名の通り、主人公は知的発達障害者である。
      しかしこの物語を読み終えると、作者は白痴の人間を書きたかったのではなく「正直な人」「美しい人」「無垢な人」を書くために条件の合う人物を探していたら、それが白痴者だったという風に考えた方が良いのだと思う。

      物語の表面は良く分からない話。当時のロシアの風習や考え方、ナポレオンとの関係、宗教的な考え方などを知らないと登場人物の行動が理解出来ないと思います。ただ、気をつけて各人物の発言とその意図、他の人との関係や会話の遮り方などをみると別の面白さが出てきます。

      作者としては一連の出来事を通じて、出来事とは全く違う次元で人間の心や理想・哲学を表現したのでしょう。自分では最近それが文学だと思っています。
      一連の出来事も、最後のまとめ方などはとても面白かったです。しかし全体を通してみると「賢ければ良いのか?」「無知は悪い事か?」「馬鹿正直は悪いのか?」など色々考えさせられます。

      部屋名

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        最近の建築雑誌などで住宅を見ていると、昔の様に明確に「和室」「キッチン」「子供部屋」「LDK」などと分かれてなく、床や天井の高さの変化や稼動間仕切り・家具や目線の変化で緩やかに空間を区切っているプランが多いです。

        家の設計の仕方などは「どれが正しくて正しくないか」などは無く、住み手が満足すれば良いので曖昧な世界ですが、戦後復興の公団住宅(51-C型)が一般の住宅の基準ではないでしょうか。
        昔の公団住宅。また、それを基にした社宅などは一応の基準があります。
        確か…
        ・寝食分離
        ・食住分離
        だったはず。

        まず第一に「寝る場所と食事をする場所を分ける」。その上で余裕がある時に「食事をする場所と生活する場所を分ける」と考えられています。
        「寝る場所=寝室」「食事をする場所=食堂」となり、独立した食堂が取れない場合は台所を広げ「ダイニングキッチン(DK)」となり、昔から家族団らんの場所だった茶の間が「リビング」になりました。これで現在一般的に広告などで見られる「○LDK」の形が完成です。

        僕は小学校に上がるまで団地に住んでいたのですが、しつらえや広さなどは別として、確かに「寝食分離」「食住分離」の部屋割りでした。ただし、実際の使われ方は別ですが。

        公団自体は戦後の住宅不足を解消する為に、それこそ量産化された建物です。出来るだけ多くの人に平等に住宅を供給する為に造られたので、ある意味「最低限」で「当時の基準」の建物です。それが時代が進み、住宅に求められる内容も変わりました。

        雨風を防げれば良い建物から、安定した生活を送れる建物になり、くつろげる建物に進化していきます。そして、現在では「何かを与えてくれる建物」になっていると思います。

        何時頃から始まったかはよく分からないのですが、多分モダニズムの頃からか「ユニバーサル・スペース」の名の下で「均質な空間」を作ることが多くなりました。これは世界中の動きなので日本の「○LDK」の考え方への反発が原因では無いはずですが、元々建築家が用途の特定された部屋に違和感・拒否感を覚えていたのが始まりだと思います。
        学校や書籍、建築家の講演など様々な事で学んだ内容として、建築家が「一つの空間に複数の意味を持たせる事」「境界を無くす事」を求めて来た事が分かります。それは実際にその場所に立った時の経験・感覚などから来ているのだと思います。

        例として日本家屋の縁側があります。
        廊下なのか、ベランダなのか、和室の延長なのか、色々な用途や考え方が有り、そして春先の昼下がりなどにいると何とも気持ち良い。夏ならば開け放して風を通し、冬は障子を閉めて風を遮り陽射しのみを取り込む。この様にとても曖昧で定義されていない空間です。

        この様に多用途・境界無しなどを求めていくと、部屋の壁を無くして「高さ」「空間ボリューム」「意識」「仕上げ」「目線」などで空間をその時々に定義して使用する現在の考え方は理解できます。また、壁の量を減らす事は建具も減り、下地なども減るのでコストダウンにもつながります。
        狭小住宅で低コストの建物で、建物全体がワンルームの様な建物が多いのはコストの面が大きいと思います。

        部屋が無くなる。部屋名が無くなる。
        実際に生活する人のスタイルに合わせてプランを作成し、断面を作成する。そうすると既成概念は無くなり、それこそ人の数だけ考えが有り、空間が出来る。
        寝る時には暗くて良いので、寝室は地下でも良い。毎日使う風呂・トイレ・キッチン・食卓は気持ち良い最上階や庭に面した場所。テレビは見ない、家族が集まる場所が有れば良いので、幅の広い部屋の様な廊下・本棚に囲まれた空間をリビングとして扱う。子供が小さい内はロフトで寝かせ、大きくなったら親の書斎・秘密基地にする。
        その人の考え・生活プラン・時間などを入れれば色々と考えられます。

        また、寝室だからそこで寝なければいけない訳で無く、子供部屋だからそこに子供がいなければいけない訳ではありません。むしろ子供が部屋から出てこなくて困っている方が多い状態。

        部屋名の為にイメージが固まってしまい、生活が狭められている。

        極端な事を言えば、風呂・トイレだけ固定して、それ以外は自由に出来る。キッチンも水道と排水・火の場所だけ決めておけばどこでも調理できる。

        最近メディアに建築が取り上げられる機会が多くなったからか、既成概念を捨てて考える施主が多くなりました。もちろんそのような施主に建築家が育てられた部分も有ります。一応は「機能主義」の延長なのかもしれませんが、感覚的に+αがある気がします。とても面白い方向です。

        今までは打合せで「どんな部屋が欲しいですか?」「どんな空間が必要ですか?」と言う意味の質問が多かったですが、これからは「何をしたいですか?」「どうなりたいですか?」と言った意味の質問を増やして行きたいです。
        そうすれば結果的には似たような空間でも、全く違った意味を持ち、将来的に様々な可能性を持つ空間が造れると考えます。

        完了済証

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          確認申請を行った建物(敷地内に付属する物置や簡易な増改築以外は殆ど)の場合は、建築基準法でその建物が確認申請通りに造られているかを行政や指定確認申請機関による検査を受けて確認してもらわなければなりません。これを完了検査と言います。

          行政が行う行為ですので、検査後には完了検査済証という書類が発行されます。紙切れ一枚ですが、これがとても重要です。

          上司や10年くらい先輩の方の話ですと、昔は検査済証がなくても銀行の融資などを受けられたらしいですが、現在ではほぼ不可能です。銀行より融資の確約がもらえても、実際のお金の授受は検査済証の提示と引き換え。恐らく不正融資が多かった為だと考えられます。
          しかし、工事業者への支払いは工事着工から発生するので、その間のお金をどうするかの問題が生じます。これは家を買う時に生じる問題でも、なかなか気づきにくい問題。

          もう一つの大きな問題として、検査済証が無いと確認申請を伴う増改築が出来ないという事があります。
          部屋のクロスを変えるとか、キッチンの交換・給湯器の交換・風呂の交換・サッシの交換くらいならば確認申請の必要は無いので問題ありませんが、増築による面積増加・階段部分の改修では必要になります。戸建住宅以外では様々なケースがあるので一概には言えませんが、より制約が厳しくなる場合が多いです。
          また一般の人は「建物自体はいじらないで、駐車場に屋根を設けるだけだから」と考える人が多いですが、確認申請は敷地単位で審査するので建物自体の検査済証の有無を問われます。

          まあ、殆どの人が建物の増改築などは関係ないと思いますが、最近では中古物件を買って、自分の成長(家族・経済)によって建物をいじっていく人が増えてきています。また、投資目的でマンションやビルを買って、場合によってはリノベーションして運用する人もいます。

          このような場合、検査済証の有無が大きくなり、厳しい会社との売買では扱ってくれない場合もあります。
          建築基準法としては「確認申請→完了検査→検査済証」はセットでやるのが当たり前の事。それが建築主の都合で受けていないだけ。しかも建築基準法では「完了検査は竣工後4日以内に申請すること」となっているので、受けてない建物はある意味違反建築物。
          先日行政に聞いたら「違反建築というより、存在しない建物」扱いとの事です。
          書類上は竣工していないので、確かに存在しないというは正しい。そして存在していないので違反もなにも無いという解釈は出来ます。まあ、お役所仕事と言えばそれまでですが。

          一応、検査済証が無い場合でも増改築は出来ますが、それには「建築当時の法規に照らし合わせて、正当な工事が行われていることを証明」する必要があります。
          建物の基礎や鉄筋・配管など、現在では仕上げに隠れて見えない部分の正当性を色々と証明しなければいけません。壁はがして・壁をコア抜きして・地面掘って…と。
          色々と頑張って当時の状況を調べても、それが当時の法規に適合していたら良いですが、不適合ですとめでたく「違反建築」です。現在の技術なら補強などして適合させる事は出来ると思いますが、規模によっては建替えた方が早いかも。

          当然、そういった制約は設計にも影響するので、見込んでいたプランや収支の現実は難しいです。

          紙切れ一枚ですが、とても重要な紙切れです。
          売買契約の時には気をつけたいです。

          直売所

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            たまたま周辺に直売所などがあるので、野菜・卵は殆ど直売所で購入しています。
            どちらも車で10分くらい掛かりますが、その手間を感じないほどの鮮度・安さがあり、美味しさがあります。

            卵は養鶏所なので、採りたてです。敷地内には沢山の鶏が鳴いています。
            量り売りなので1kgで370円。大きさにもよりますが、大体15個前後。
            大きさが不揃いだったり、殻が少し汚れているなどもありますが、そんなのは食べるのに全然関係ないですし、むしろ自然である証。
            スーパーで6個200-300円くらいで売っている卵より、鮮度・味ともに良いと思います。
            毎朝生で食べて(飲んで)いますが元々の味が濃いので、殆ど味付けは不要でとても甘いです。

            野菜は良く地方にある直売所。
            無人ではなく、有人のところに行きます。

            スーパーとかに売っているのと違い、大きさもまちまちだし、形も悪く、虫も喰っています。
            それを嫌う人もいるとは思いますが、うちではむしろそれを喜んでいます。
            自然に育つものなのに、大きさが揃っていたり、やたら綺麗な形になる方が気持ち悪い。
            それこそ虫が喰わない物を人間が食べる。美味しいからこそ虫が食べる訳で、虫が食べれない様に薬を使っている。中には無農薬や有機で防虫しているのもありますが、調理する時にその部分を除けば良いだけで特に問題ない。それに農家の方でも酷いのは出荷しないですし。

            地元の直売所ですと種類や場所によって違いますが、市場に出せなかった規格外のものが並んでいます。中身は一緒ですが、大きさや形がちょっと違うもの。要はアウトレットです。
            そういったものはとても安くなっています。
            冬のこの時期、白菜・ねぎ4-5本・ほうれん草・小松菜などは100円ちょっと。ブロッコリー・メキャベツなどは200円くらい。どれもスーパーの半額から7割くらい。しかもスーパーより味が濃くて美味しい。

            それにも増して良いのは「季節のものが食べられる」。
            場所によってはハウストマトとかもありますが、基本的に露地物なので季節の物しか並びません。
            でもそれで自然と季節感を感じることができますし、1年を通じて満遍なく多種の野菜を食べれます。
            古い考えかもしれませんが、とても自然な食生活を送れていると思います。

            もちろん毎週ごとに季節が変わる訳でないので、数ヶ月同じ野菜を食べる事もあります。
            しかし美味しいので飽きませんし、逆に様々な料理法を探して食べるようになります。

            魚もたまたま市場の様な所があり、1匹で買うことが出来ます。
            鮮度とかは海沿いの店や、デパートとかの鮮魚売り場にはかなわないかもしれませんが、うちの家計状況で比べたら十分以上のものです。
            1匹で買うと良い事は、身の他に頭や骨・あらなども手に入る事です。
            さばくのは無料なので、身は刺身や食べきれない場合は切り身など、骨は鍋や吸い物の出汁、頭は焼きか煮魚などと、それこそ骨の髄まで食べつくします。

            野菜・卵・魚、どれも元々は安くて良い物を食べたいと思い、ネットやランニング中に見つけた所を尋ねて見つけた所。それが様々な恩恵をもたらしてくれます。

            他にもたまたま元農家の友人がいる為、時々親父さんの作った野菜を大量に頂きます。
            元農家だけあって、無農薬・漢方栽培でとても美味しいです。

            このような考え方なので、地元・田舎からのおすそ分けはとてもうれしいです。
            年末も友人から福島産の新米とりんごを頂きました。
            やはり有名処だけあって美味しかったです。
            悲しいのは放射能の「検査済」のシール。分かるけど、もっと理解のある人が増えて欲しい。

            結局スーパーでは直売所で買えないニラやモヤシなどの野菜と、豆腐・納豆くらいしか買っていません。
            こう考えると、結構「地産地消」出来てます。
            毎回、売り場の人と顔を合わせるので会話も生まれ、極小ですが地域交流が発生しています。
            多分、これからの都市生活に必要なのは、こういったことなのかも知れないと思うこのごろです。

            1年

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              今週末で東日本大震災から1年になります。

              1年の間に色々と考える事がありましたし、変化がありました。
              震災だけでなく、仕事上も含めて省エネを考え、冷暖房を最低限(夏の睡眠時除湿・冬はなし)にしたり、エレベーターの使用を控えたりと。また、当日自力で自宅へ帰れなかったのがとてもショックで、普段の生活でも極力徒歩移動を増やしました。元々震災の1年くらい前から始めていたランニングと併せて、体力をつける事を気をつけました。

              1年を機会に、今度の土曜日に震災に遭遇した土地から自宅まで歩いてみようと思います。
              震災の事を想ってやるのは確かですが、もっと気楽に散歩的な気分で歩こうと思っています。

              当日は仕事の移動途中の分倍河原駅で遭遇しました。
              その時点で規模などの情報は一切無かったので、現場へ移動するために西国立まで徒歩移動して19時頃まで待機。たまたま現場の職人さんが、帰り道に事務所の有る渋谷付近を通るとの事なので車に乗せてもらいましたが着いたのは0時。
              地下鉄が動き始めてるとの事で乗り継いで帰ろうと思ったけど、いつ乗れるか判らない状態。むしろ何時止まってもおかしくない状態なので歩いて帰る事に。
              記憶で自宅の有る浦和までは30kmほどと考え、渋滞の車を横目に山手通りを歩きながらコンビニに入っても食べ物は一切無し。4時間程歩いて赤羽手前で足の裏が異様に痛くなる。どうやら革靴で長い距離歩いた為に肉刺が出来てつぶれたらしい。電車が動く情報が有ったので駅に寄ったがJRは動く予定無しなので、埼玉高速鉄道で浦和美園まで移動。1時間ほど休憩して残り5km程を歩いている途中にかみさんと連絡がつき迎えにきてもらい7時過ぎに帰宅しました。

              今回は分倍河原駅からかみさんの勤務先の吉祥寺を経由して浦和まで、だいたい35km位を歩く予定です。一応事前に簡単に地図を頭に入れておきますが現地ではiPhoneの地図を使わず、道が判らなくなったら付近のコンビニで地図を立ち読みします。

              今週末は様々な人が様々な方法で震災から1年を迎えると思いますが、もし同じような事をしても良いかなと感じる人は是非。

              干支

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                 年明けてそろそろ1ヶ月、色々と単調な毎日になってきました。まあ、自発的に毎日を面白くしないといけないのですが。

                おそらく殆どの人が思うであろう「来年こそはちゃんと準備して年賀状を書こう」。僕もいつも思っています。レイアウトとかを凝らなければ絵柄で迷うだけで、しかも近年は絵はかみさん、その他はこちらと住み分けが出来ているので楽になりました。
                ただ、今後仕事の分などを考えると、またそれなりのものを作らないとと思っています。

                年賀状だとだいたい、文字だけ、写真、絵と分類でき、その中でも家族、干支、季節と描く事が細分化しますが、個人的にちょっと恐れている事が…

                来年の干支は巳(蛇)です。僕が世の中で一番嫌いなものです。
                漫才の「レッドスネークカモン!」ならばどうにかですが、それ以上はTVでその気配があると番組変えるし、そもそも想像するのすら嫌。
                基本的には自然が好きなのですが、蛇がいるような所や、同じ様なのがいる海も苦手。

                流石に年賀状でそのままの写真を付けて出す人はいないと思うけど、今から少しびびってます。

                碧の時間

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                   黒味掛かった碧の時間
                  一日が動き出す時間

                  この時間がたまらなく好きで
                  極限まで引き締められる

                  その人知を超えた碧さに畏怖の念を抱き
                  ただただその短い時間を過す事を忘れる

                  何故
                  創り出せないからか
                  知る人が少ないからか

                  叶わない事だかずっと浸っていたい


                  ---
                  昔コンビニの夜勤をしていた時に毎回見ていた、夜から朝に変わる瞬間の碧の時間。一番好きな時。
                  人工物の音の無い中で迎えたい。

                  車での貧乏旅行でも、この時間までは移動している。明けて太陽出たら就寝。

                  久しく見ていない。
                  多分、冬の朝靄の中の釧路湿原やトドワラで迎えたら昇天して廃人になるかも。

                  歴史の扱い

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                    設計の手法を学生の時に習った時に最初に言われた事は「敷地の特性を読み取る」事。
                    建物とはそれ単体で建っているのではなく、周辺環境の中に建っている。狭い範囲で考えれば自分の建物の窓の位置が隣の建物の窓と干渉しないように、範囲を拡げれば建った建物が街並みにどのように影響するか、その他膨大な要素が敷地から読み取る事が出来ます。

                    様々な世界的な建築家の話を聞いても同じ事を言っていますし、卒業して実務を経験しても敷地の重要さを実感します。
                    極端な話し、条件が全く無い敷地、時々「自分の思う所に好きなだけ敷地を選んで設計すると自由で良いね。例えば真っ白なキャンバスの上に描くみたいに」と言われる敷地だと僕は設計出来ないと思います。逆説的にはそれだけアイデアが無いと捉える事も出来ますが…
                    逆に何らかの条件がある敷地ならば、物理的・数値的に限界が無ければどんな敷地でも設計出来ると思います。

                    それだけ敷地は重要で、それは形態だけでなく、歴史・文化・位置・季節など様々な要因を読み解きます。
                    有名な所では、丹下健三設計の「広島平和記念資料館(広島ピースセンター)」は建物に正対した時にピロティ中央から慰霊碑・原爆ドームが一直線になるように建てられています。この軸線を通す事でそれぞれの要因を強くし、その意味合いを強くしています。建物単体も力強いですが、この軸線が有るからこそ広島・原爆と言うとても繊細な部分を受け止めるだけの建物になっていると思います。

                    この様に、設計時には敷地の様々な要因やそこに住まう人々の考えや、実際に建物が建った時の影響などを想像して進めて行きます。そこには正解も無く、むしろ設計者の自己満足に陥ってしまう危険性が有り、時によっては全然違う方向に向かって進めてしまう事も有ります。

                    顕著な例として地方・特に歴史的価値のある土地での設計です。

                    最初に歴史的価値のある土地で設計する場合、その歴史を取り入れて設計する、又は言葉は適切でないかも知れませんが迎合して設計する事を誰でも考えると思います。実際に京都・奈良などでに建物を建てる場合は木造の勾配屋根を主とした、寺社・町屋・茶室などをイメージする建物を想像すると思います。

                    しかし単純に歴史を取り入れて設計するのが本当に良いのでしょうか?
                    最近は「歴史=古いものを残す」と言う考えで伝統的な建物を望んでいるのは、当事者以外の思い込みではないかと考えます。東京などの人間が都心に注目される建物が建つ時は、最先端の現代建築を望む事が普通だと思います。単純に考えて六本木・表参道などに今までと同じような建物が建ったら期待はずれと感じると思います。
                    同様に、歴史的価値のある土地の人も新しい事を求めていて、むしろ普段が今までの踏襲傾向が強いので、どこよりも新しい事に貪欲なのかと考えます。
                    実際に自分がその土地の人間だと想像した時、新しい建物への期待は「歴史的な建築」より「先進的な建築」を求めます。

                    最近ではこの考え方は旅館などの「その土地以外の人を対象とした建物」以外には当てはまるのではないかと思います。住宅・事務所・店舗などその殆どの建物は地元の人間を対象としています。

                    このような考えから最近では、土地に対して出来るだけ現地の人間の思考を汲み取った上で敷地の特性を考える様にしています。そうでないと単純に「その土地の属性(歴史)を踏襲する」だけになり、外部の人間のイメージの押し付けになってしまうからです。
                    もちろん色々検討を重ねてそこから抜け出し、新たな考えを取り入れる事が殆どですが、自分の思考パターンとして第一に属性を踏襲する様になるのが危険であり、無駄が多いと感じます。いい加減同じパターンから逸脱しろと。

                    当然理想は「属性を踏襲した上で新たな思考を与える」ですが、これがまた難しい。
                    住宅などの建築主が少数ならば対話の中から気持ちを汲み取り形に出来ますが、公共建築などの対象者が多いと全てを満足させる事は殆ど不可能なので一層設計者の気持ちの強さが必要になります。

                    しかし結局は殆どの建物はこの様な部分で語られる事はなく、機能やコストなどで評価されます。もちろんそれは重要で必要な事と理解していますが、その上で上記のピースセンターの様に強い意志を持った建物があり、その絶対的な存在感は魅力的です。

                    一応、建物の大小関わらず、その様な建物を目指して設計しているつもり。

                    怒る富士

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                      怒る富士 - 新田次郎

                      タイトルの「怒り」。これは作品の内容を表したものではあるが、作者の気持ちを代弁したものと捉えるのが一番だと思う。その対象は自然に対してではなく人間。

                      新田次郎は「山岳小説家」として名を馳せているが、作者自身がそのような呼ばれ方を嫌っていたし、いくつかの作品を読んでいくと「山を通じての人間」を描いている事が解る。そして厳しい自然への描写から作者の暖かい人間へのやさしさが感じられる。これが新田次郎の作品を読んだ時に感じる満足感だと思う。

                      この作品もタイトルに「富士」がついているが山の話しではない。
                      1707年(宝永4年)に起きた富士山噴火の話しで、そこからの復興に向けての話。
                      そこには将軍から幕府重鎮、代官、庄屋、農民と様々な人間の立場がある。
                      そして、組織が有れば権力闘争があり、中央の幕府と被災地との隔たりは大きくなって行く。

                      ただ、何時の世でも権利でなく支える人が大事なのを解っている人がいて、後世になって評価される。
                      たまたま尽力した伊奈半左衛門忠順が地元の人で、彼が作った見沼周辺を何時も走っているから余計感情移入が出来た。

                      何時の時代も時間と共に忘れ去られ、苦労をするのは残された人間で中央は様々な理由を盾に遠ざかって行く。

                      元々は昨年に手に入れた本だか、最近読んだ。東日本大震災の後に読めた事は、無宗教だが何かの啓示を感じる。その位今回の状況に似ているし、大変な事。
                      ただ、今の富士山麓、特に須走村周辺は何事も無かったかの様な土地が残っている。

                      確かにとてつもなく長い年月を経て復興したのだろうが、できなかったわけでは無い。そして今でも富士山への畏怖と尊敬は残り、富士と共に生きようとしている人がいる。

                      東北の被災地も、今は様々な専門家達が主導して高地への移転を行っているが、長い年月の後には海辺に暮らす様になると思う。それだけ海と共に生きてきた歴史があるし、都会の様な土着の少ない土地以外は簡単に移動出来ない。それだけ土地は強く、日本の歴史そのものになっている。

                      小説だが史実を基にして書かれた本。
                      正式な古文書などの扱いはわからないが、曲げられてはいないはず。
                      宝永の大噴火はこのようにして今に伝えられているが、東日本大震災も同じようになるのだろうか?
                      阪神淡路大震災もまだ消化されていない。

                      強制はしないが、是非に読んで欲しい本です。

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                      肉・魚・野菜を美味しく焼くならやはり七輪。
                      一家に一個。

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                      4コマと言って侮れない。
                      センスを感じる一冊。

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