干支

0
     年明けてそろそろ1ヶ月、色々と単調な毎日になってきました。まあ、自発的に毎日を面白くしないといけないのですが。

    おそらく殆どの人が思うであろう「来年こそはちゃんと準備して年賀状を書こう」。僕もいつも思っています。レイアウトとかを凝らなければ絵柄で迷うだけで、しかも近年は絵はかみさん、その他はこちらと住み分けが出来ているので楽になりました。
    ただ、今後仕事の分などを考えると、またそれなりのものを作らないとと思っています。

    年賀状だとだいたい、文字だけ、写真、絵と分類でき、その中でも家族、干支、季節と描く事が細分化しますが、個人的にちょっと恐れている事が…

    来年の干支は巳(蛇)です。僕が世の中で一番嫌いなものです。
    漫才の「レッドスネークカモン!」ならばどうにかですが、それ以上はTVでその気配があると番組変えるし、そもそも想像するのすら嫌。
    基本的には自然が好きなのですが、蛇がいるような所や、同じ様なのがいる海も苦手。

    流石に年賀状でそのままの写真を付けて出す人はいないと思うけど、今から少しびびってます。

    碧の時間

    0
       黒味掛かった碧の時間
      一日が動き出す時間

      この時間がたまらなく好きで
      極限まで引き締められる

      その人知を超えた碧さに畏怖の念を抱き
      ただただその短い時間を過す事を忘れる

      何故
      創り出せないからか
      知る人が少ないからか

      叶わない事だかずっと浸っていたい


      ---
      昔コンビニの夜勤をしていた時に毎回見ていた、夜から朝に変わる瞬間の碧の時間。一番好きな時。
      人工物の音の無い中で迎えたい。

      車での貧乏旅行でも、この時間までは移動している。明けて太陽出たら就寝。

      久しく見ていない。
      多分、冬の朝靄の中の釧路湿原やトドワラで迎えたら昇天して廃人になるかも。

      歴史の扱い

      0
        設計の手法を学生の時に習った時に最初に言われた事は「敷地の特性を読み取る」事。
        建物とはそれ単体で建っているのではなく、周辺環境の中に建っている。狭い範囲で考えれば自分の建物の窓の位置が隣の建物の窓と干渉しないように、範囲を拡げれば建った建物が街並みにどのように影響するか、その他膨大な要素が敷地から読み取る事が出来ます。

        様々な世界的な建築家の話を聞いても同じ事を言っていますし、卒業して実務を経験しても敷地の重要さを実感します。
        極端な話し、条件が全く無い敷地、時々「自分の思う所に好きなだけ敷地を選んで設計すると自由で良いね。例えば真っ白なキャンバスの上に描くみたいに」と言われる敷地だと僕は設計出来ないと思います。逆説的にはそれだけアイデアが無いと捉える事も出来ますが…
        逆に何らかの条件がある敷地ならば、物理的・数値的に限界が無ければどんな敷地でも設計出来ると思います。

        それだけ敷地は重要で、それは形態だけでなく、歴史・文化・位置・季節など様々な要因を読み解きます。
        有名な所では、丹下健三設計の「広島平和記念資料館(広島ピースセンター)」は建物に正対した時にピロティ中央から慰霊碑・原爆ドームが一直線になるように建てられています。この軸線を通す事でそれぞれの要因を強くし、その意味合いを強くしています。建物単体も力強いですが、この軸線が有るからこそ広島・原爆と言うとても繊細な部分を受け止めるだけの建物になっていると思います。

        この様に、設計時には敷地の様々な要因やそこに住まう人々の考えや、実際に建物が建った時の影響などを想像して進めて行きます。そこには正解も無く、むしろ設計者の自己満足に陥ってしまう危険性が有り、時によっては全然違う方向に向かって進めてしまう事も有ります。

        顕著な例として地方・特に歴史的価値のある土地での設計です。

        最初に歴史的価値のある土地で設計する場合、その歴史を取り入れて設計する、又は言葉は適切でないかも知れませんが迎合して設計する事を誰でも考えると思います。実際に京都・奈良などでに建物を建てる場合は木造の勾配屋根を主とした、寺社・町屋・茶室などをイメージする建物を想像すると思います。

        しかし単純に歴史を取り入れて設計するのが本当に良いのでしょうか?
        最近は「歴史=古いものを残す」と言う考えで伝統的な建物を望んでいるのは、当事者以外の思い込みではないかと考えます。東京などの人間が都心に注目される建物が建つ時は、最先端の現代建築を望む事が普通だと思います。単純に考えて六本木・表参道などに今までと同じような建物が建ったら期待はずれと感じると思います。
        同様に、歴史的価値のある土地の人も新しい事を求めていて、むしろ普段が今までの踏襲傾向が強いので、どこよりも新しい事に貪欲なのかと考えます。
        実際に自分がその土地の人間だと想像した時、新しい建物への期待は「歴史的な建築」より「先進的な建築」を求めます。

        最近ではこの考え方は旅館などの「その土地以外の人を対象とした建物」以外には当てはまるのではないかと思います。住宅・事務所・店舗などその殆どの建物は地元の人間を対象としています。

        このような考えから最近では、土地に対して出来るだけ現地の人間の思考を汲み取った上で敷地の特性を考える様にしています。そうでないと単純に「その土地の属性(歴史)を踏襲する」だけになり、外部の人間のイメージの押し付けになってしまうからです。
        もちろん色々検討を重ねてそこから抜け出し、新たな考えを取り入れる事が殆どですが、自分の思考パターンとして第一に属性を踏襲する様になるのが危険であり、無駄が多いと感じます。いい加減同じパターンから逸脱しろと。

        当然理想は「属性を踏襲した上で新たな思考を与える」ですが、これがまた難しい。
        住宅などの建築主が少数ならば対話の中から気持ちを汲み取り形に出来ますが、公共建築などの対象者が多いと全てを満足させる事は殆ど不可能なので一層設計者の気持ちの強さが必要になります。

        しかし結局は殆どの建物はこの様な部分で語られる事はなく、機能やコストなどで評価されます。もちろんそれは重要で必要な事と理解していますが、その上で上記のピースセンターの様に強い意志を持った建物があり、その絶対的な存在感は魅力的です。

        一応、建物の大小関わらず、その様な建物を目指して設計しているつもり。

        怒る富士

        0
          怒る富士 - 新田次郎

          タイトルの「怒り」。これは作品の内容を表したものではあるが、作者の気持ちを代弁したものと捉えるのが一番だと思う。その対象は自然に対してではなく人間。

          新田次郎は「山岳小説家」として名を馳せているが、作者自身がそのような呼ばれ方を嫌っていたし、いくつかの作品を読んでいくと「山を通じての人間」を描いている事が解る。そして厳しい自然への描写から作者の暖かい人間へのやさしさが感じられる。これが新田次郎の作品を読んだ時に感じる満足感だと思う。

          この作品もタイトルに「富士」がついているが山の話しではない。
          1707年(宝永4年)に起きた富士山噴火の話しで、そこからの復興に向けての話。
          そこには将軍から幕府重鎮、代官、庄屋、農民と様々な人間の立場がある。
          そして、組織が有れば権力闘争があり、中央の幕府と被災地との隔たりは大きくなって行く。

          ただ、何時の世でも権利でなく支える人が大事なのを解っている人がいて、後世になって評価される。
          たまたま尽力した伊奈半左衛門忠順が地元の人で、彼が作った見沼周辺を何時も走っているから余計感情移入が出来た。

          何時の時代も時間と共に忘れ去られ、苦労をするのは残された人間で中央は様々な理由を盾に遠ざかって行く。

          元々は昨年に手に入れた本だか、最近読んだ。東日本大震災の後に読めた事は、無宗教だが何かの啓示を感じる。その位今回の状況に似ているし、大変な事。
          ただ、今の富士山麓、特に須走村周辺は何事も無かったかの様な土地が残っている。

          確かにとてつもなく長い年月を経て復興したのだろうが、できなかったわけでは無い。そして今でも富士山への畏怖と尊敬は残り、富士と共に生きようとしている人がいる。

          東北の被災地も、今は様々な専門家達が主導して高地への移転を行っているが、長い年月の後には海辺に暮らす様になると思う。それだけ海と共に生きてきた歴史があるし、都会の様な土着の少ない土地以外は簡単に移動出来ない。それだけ土地は強く、日本の歴史そのものになっている。

          小説だが史実を基にして書かれた本。
          正式な古文書などの扱いはわからないが、曲げられてはいないはず。
          宝永の大噴火はこのようにして今に伝えられているが、東日本大震災も同じようになるのだろうか?
          阪神淡路大震災もまだ消化されていない。

          強制はしないが、是非に読んで欲しい本です。

          鬼平犯科帳

          0
            鬼平犯科帳 - 池波正太郎

            池波正太郎の代表作と言えば「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の3シリーズでしょうか。その中でもこの鬼平犯科帳を推す人が多いと思います。

            僕が最初に池波正太郎作品を読んだのは「真田太平記」で15年くらい前です。その後、戦国・幕末・エッセイと池波作品は読み進んで行ったのですが、何故か3大シリーズだけは読んでいませんでした。様々な人から面白いと言われたりしたのですが、何故か読んでいませんでした。

            今回やっと読みまして、皆が面白いと言うのが解りましたし、色々な所で内容以外でも評価されているのが解りました。
            小説として話しが面白いのは当然の事として、その他にも江戸市井の描き方や当時の文化への造詣、組織としての成り立ちや立場ごとの考え方・対処の仕方など、現代にも通ずる事が書かれているからでしょうか。
            そしてこれら以上に、池波氏が作品を通じて訴えている人間の生き様や矛盾、考え方に共感する人が多いからだと思います。

            しかし面白い事に、人々の人情や考え方・街並み・文化・食事など様々な事に対して細やかに扱われているのですが、描写は細かくない。登場人物の顔つきも大雑把に書かれているし、池波氏の作品では特に絶賛されている食べ物も細かい作りかたや味付け・描写が書かれている訳でもない。文章を上手く書くのは書き手として当然の事で、その先の作者と読者の呼吸を合わせる具合が絶妙なのだと感じます。

            また、鬼平犯科帳自体は池波氏の初期に始まり、少しずつ間隔を長くしながら亡くなるまで書かれた作品のため、作風が微妙に変わっていると個人的には思います。初期といっても小説家として10年ほど経ってからの作品で、それ以前には劇作家として活躍していた背景があるので根本的な池波節は始めから存在している。だが、先に書いた人間への考え方や読者との呼吸が巻数を追う毎に深くなっている。個人的には12.3巻くらいから顕著に現れていると思う。
            それは同時に主人公の長谷川平蔵、それを取り巻く人々の考え方・動きの変化として現れている。池波氏は人間の考えの変化、時には人間の矛盾というものを「当たり前の事」むしろ「それこそが人間」としているので、その変化こそが池波氏の真髄となり鬼平犯科帳の人気にもつながっていると感じます。

            小説だけでなく、映像化されており、しかも池波氏が強く監修しています。元々劇作家だった池波氏監修の映像なので、そちらも期待できます。その様な面も含めて長く楽しめそうです。

            階段

            0
              東日本大震災の発生後節電が叫ばれて、エレベーターの使用が減りました。
              個人的には節電や省エネ以外にも、健康の事を考えて極力エレベーターの使用を避けています。

              仕事で一緒の人がいたり、高齢者の方と移動している時などはエレベーターを使用しますが、一人の時は基本的に階段です。ただ、エスカレーターは動いているのに乗らないのはもったいないので乗ります。節電モードで止まっている時は階段。

              このように極力階段を使用するのですが、一つ困ったと言うか、気付いた事が。
              「階段の位置が判りにくい」
              です。

              特に10階建て位のビルが一番解りにくい。また、高級マンションも。

              これは設計をやっている自分としては理由も解るし納得もするのですが、省エネなどが主体となる今後を考えると、再考する必要があるのではと思います。

              昔なら公共住宅で5階から(古くは6階から)、最近では3階建てでもエレベーターで上下階の移動をするのが当たり前となり、階段は非常時のサブ動線として扱われています。ですから入口からホールに入った時は「ホールの構えをしっかりさせ、エレベーターの見栄えを大切にする」が設計では一応基本です。高級になればなるこそ、入ってからエレベーターを見せないとかの見栄えやらその他諸々ついてきます。

              こんな状態なので「サブ動線の階段がホールから見えるなんて論外」と言う考え方が主流です。よって今建っている建物の多くが、入口から階段が解りづらい建物になっています。それに加え最近ではセキュリティー対応で部外者が階段を使用出来ない様にしているものも有ります。ひどいと部屋から階段へはアクセスできるけど、階段から部屋へはアクセスできないように扉の鍵を調整しているものも有ります。

              この様に「階段を使いたくても使えない建物」が多く有ります。
              もちろん設計をやっているので、3層以上の階段の扱いが大変とか、占有面積の関係とか、見た目・仕上げ・収まりとかは解ります。しかし全体としてエレベーターの使用量を減らす努力は必要だと思います。
              東日本大震災の後、節電でエレベーターを停止したセキュリティーを強化したマンションが、外部階段の出入を管理しすぎていた為、居住者が入れなかったという笑えない話しも有ります。

              昔は「子供は電車で座ってはいけない」とか「階段を使う」などと教育された記憶が有ります。(僕の周りだけか?)エレベーター・エスカレーターを無くす事は不可能だと思うし、高齢者や障害者、また怪我人などには無くてはならない必要な設備です。引越し業者や仕事で荷物を抱えた人には大きな助けとなります。しかし、それに頼るのはいけないと思います。

              無くすのではなく、使用量を減らす。その為に解りやすい階段を増やす事を考えても良いと思います。

              耐震基準

              0
                一般の人で建築に一番「技術的に」近い知識と言うと「耐震基準」だと思います。
                よく「この建物は震度○まで大丈夫です」のような記事。
                実際には細かい具体的な根拠が出せないので、広告としては出せないはずですが。(宅建の決まり)
                でも耐震・免震・制震など、日本が地震国家な為か、ゆれに対する基準には過敏です。
                また、今年の春に起こった東日本大震災の記憶が残っているため、余計過敏になっています。

                では、実際に専門の分野としての耐震基準はどうでしょう?
                建築をやる上で大元の法律となる「建築基準法」では具体的に書いていません。
                木造・鉄骨造・鉄筋コンクリート造などの柱の大きさや壁の厚さ、鉄筋のピッチなどは書いていますが、地震に対しては「安全である事」の様な曖昧な表現で、具体的に「震度○以上に耐えられる事」と明記はされていません。
                また、地震が地球・自然を相手にしているもので、理論よりも経験値が重要な分野なのでなかなか学問的に進歩しません。それこそ不謹慎ですが、大規模災害の度に重要な資料が手に入る状態です。

                地震自体も様々な形態が有り、直下型や長周期型など様々です。
                阪神淡路大震災や新潟中越沖地震などは直下型で、東日本大震災は長周期型です。
                新潟中越沖地震は震度6強で、東日本大震災は確か震度の基準以上になっていて震度は発表されていないはず。マグニチュードで考えると新潟沖地震は6.8で、東日本は9.0、その差は数十倍の格差があります。

                しかし新潟沖中越地震では木造住宅が壊滅的な被害が生じ、東日本大震災では木造住宅の被害が少なかったです。
                これは地震の性質によるもので、直下型地震に対しては木造は弱く、長周期に対しては強かっただけです。柳の木と同じ。

                新潟中越沖地震は単純に地震のみを考えて建築的強度を検証すれば、その後の対策や指針が検討できましたが、東日本大震災では地震以外に津波があったので混乱をきたしました。また対象範囲が大きすぎて、建築と言うより都市となってしまうので建築が専門の人たちに破綻をきたしました。

                数値のマジックですが、マグニチュードで見ると6.8と低い新潟沖中越地震で木造住宅が倒れ、それよりも数十倍強いマグニチュード9.0の東日本大震災では木造住宅が持ちこたえた現実をみると、素人の人は何を基準に建物強度を考えれば良いか判らなくなると思います。

                一応、建築基準法ではそれから派生する細かい法令も含めて色々と決まりはありますが、具体的に数値を区切って指定している部分は少ないです。
                また、自然界上に存在する物質にそれぞれ固有振動数が有りますが、それを基準として建物強度を考えると、とてもばらつきが有ります。
                同じ強さでもコンクリートより木の方がしなやかさ(粘り)がありますし、同じしなやかさで勝負する木造と鉄骨造でも木より鉄の方が強そうです。

                このように耐震基準に対して様々な考え方・捉え方が有る状態ですが、一般的に「コンクリート造>鉄骨造>木造」の順に強度がなっていると思われているのはいけないと思います。
                この考え方は極端に言えば「材料の堅さの順」のイメージでそれぞれのしなやかさや、そこから踏み込んだ架構の技術的・物理的特性などを考慮せずに判断しているものです。専門的な事も絡むので、素人の人がそう考えてしまうのは仕方ない部分も有りますが、建築を専門にしている人でもこのような考え方を無意識に許容しているのは問題だと思います。

                東日本大震災の3.4ヵ月後くらいだったと思いますが、建築家協会だか国交省の関係部署だかの人が現地調査の報告をした時に
                「同じ震度(マグニチュード)に対して強度を持たせているのに、構造種類によって崩壊時期にばらつきが有るのは問題である」
                という主旨の発言をしました。
                これは、
                「同じ震度7に耐えられる様に造ったのに、コンクリート造が残って木造が壊れた。『木造だから弱く、仕方ない』という考え方はいけない」
                と捉えられます。

                とても当然の事だと思います。

                東日本大震災でも建物が倒壊した原因が地震の場合と津波の場合に分けられます。
                それを一括りに「耐震基準が…」と判断しては将来に渡って誤った方針を立ててしまいます。流石に今回は津波の影響を多分に検討していますが。

                建物自体は様々な形態・構造が有りますが一概にどれが良いとは言えず、それぞれに一長一短が有ります。
                大事なのは設計者を始めとする専門家が、設計から施工の間にしっかりと施主に説明をして、きちんと理解してもらう事だと思います。「素人だから」「どうせ説明しても判らないから」ではなく、最低限の大事な事を如何にわかりやすく伝えるかを考えなければいけません。

                椅子

                0
                  業種にもよりますが、一日中机仕事という人は多いと思います。
                  椅子に座ってパソコンいじくって…

                  そうなると次第に腰が痛くなり、肩が凝り、お尻も痛くなってくる。
                  適度に休憩を取って軽い運動をしたりすれば良いのですが、忙しいとそうもいかない状況です。
                  これが椅子が良いともう少し違うのですが。

                  経費削減で一脚数千円の事務用椅子を使用している場合が多いですが、これが一脚数万円くらいになると疲労度が全然違います。
                  前の職場がたまたま良い椅子を使っていたのですが、体が痛くなった覚えはありません。
                  もちろん若かったりと単純な比較は出来無いのですが、それでも国内事務機器メーカーの椅子でも相当な効果がありました。これがきちんと設計されて、一脚10万を超えるような高級椅子だったらどうなるのでしょう?

                  ふと考えると一般的に下っ端ほど椅子に座って仕事をしている時間は長く、えらくなるほど座る時間は短くなります。また、上の人は座って事務仕事というより、ソファーで取引相手と打ち合わせなどと目的が変わってくるので、求められる椅子の種類も変わっていきます。

                  一般的にある程度の名のある椅子ならば座り心地も良いので、上の人は適当な見た目が良い椅子を使えば良いと思います。しかし下っ端にこそ良い椅子が必要だと思います。
                  短い期間で考えると経費など色々の事に問題が出るのかもしれませんが、良い椅子だと長持ちするので交換期間が延びますし、人が入れ替わっても椅子ならば転用できます。それに社員の体調が良くなれば、直接数値には表れないかもしれませんが効率が良くなるなどの恩恵がありそうです。

                  展覧会と散歩

                  0
                    8/27の土曜に都内へ展覧会を見に行ってきました。
                    最初は次の日曜日に所用と兼ねて見に行こうと思ったのですが、どちらのギャラリー共日曜休廊。
                    さすがゆったりしたアートの世界は優雅です。

                    第2回ヤング・アーキテクツ・プラザ
                    -若手建築家による東日本大震災復興支援・建築デザイン展


                    小さな建築のスタディ

                    どちらも建築、それも同年代の若手のもの。正直危機感を持ちながら見に行きました。

                    最初は外苑前のギャラリーにてヤング・アーキテクツ・プラザを見学。
                    ギャラリー自体は小さく、10帖前後の部屋を2つ使って構成しています。
                    最初の部屋は出品者のプロフィールを小さく掛けてある以外は全て被災地の写真です。
                    3月11日以来様々な形態で目の当たりにしてきた風景ですが、何気ない街並みが津波によって破壊された写真は何度見ても言葉を失います。

                    とてつもない現実を認識させられた後に、8人の出品作品が展示されている部屋に入ります。
                    最初感じたのは「非現実」さ。先に見せられた写真が掲げられた部屋の雰囲気と、「提案」が掲げられた部屋の雰囲気、そこには「現実」があるか無いかという根本的な差が感じられます。
                    しかしそれはどんな人が提案しても埋まらない差でしょう。そもそも「提案」と「結果」と言う違うものを比べているので破綻しています。

                    提案自体は都市を考えているマクロなものから、住宅を考えているミクロなものまで有りましたが、6案が都市・地域・生活ユニットを提案していたのは震災の大きさを感じさせます。
                    個人的には五十嵐淳・中村拓志の提案が良かったです。
                    それ以外の都市型提案は基本的には過去の焼き直しに感じてしまいました。まあ、都市提案と言うと規模が大きいので色々提案できそうに感じますが、実際には「集まって住む」と言う都市の定義に縛られてしまうので似たようになるのでしょう。
                    期待していた谷尻誠の案はコンセプトで攻めたのでしょうが、概念的過ぎてわからなかったです。

                    中村案はとても現実的で、敷地さえあれば実現可能だと思う。提案自体は新しい事は無いけれど、昔から日本人がやっていた事を再認識して取り入れた案。他の案で電力の事などを積極的に取り入れて省エネを謳っていたが、こちらの案の方が無理が無く、そして建築家らしかった。

                    五十嵐案は地元の佐呂間を舞台としている。他の案が被災地である東北を舞台としているのと比べると一瞬違和感があるが、佐呂間の地理を考えると海岸の形態と確率が違うだけで似ている。人口・経済状況などのその他の事は東北と同等に扱えると思う。
                    そしてその街全体を森にしていく提案。この提案自体は被災地・佐呂間だけでなく日本全体、また全世界に共通して当てはめる事が出来る。扱う舞台は佐呂間と言う小さな街だが、含んでいる内容はとても大きい。とても納得がいく提案だった。

                    好印象の提案2つを考えると、自分が考えそうな事・やりたい事・同じ意識の事を提案しているものを選んでいます。逆に自分に興味が無い、意識が違うものは選んでいません。ここらへんはやはり直感的になっています。

                    またこの展覧会では芦沢竜一も参加しています。芦沢氏は安藤忠雄事務所出身で、雑誌でいくつか作品は見ていますが、今回のような提案を見るのは初めてです。プレゼンの方法や内容などにはやはり安藤忠雄の影響が見られます。しかし幅広い中にも細かい配慮と、商人的なサービス性があって面白かったです。

                    展覧会自体は小さいので1時間も掛からないで廻れます。どれだけそこで自分がとどまるかは好みですが、今回は時間が無いので次へ。

                    谷口吉生

                    外苑前の駅から地上に出てきた時に気付いたのですが、梅窓院の隣に昨年竣工した谷口吉生のビルが。雑誌「新建築」で少し見ただけだったのですが、実物のプロポーションは流石です。でも思ったより大きくなかった。時間が無くて通りかかった状態で、ディテールなどは確認出来なかったのですが、建物自体が出している端整さは流石です。ただ、パネルの継目が汚れてきているのは残念でした。

                    NTT

                    外苑前から隈研吾事務所の脇を抜けて青山墓地を経て六本木へ。この道は初めて通ったのですが、都心の中でも緑が有り、古い景色が所々に残っていて面白い。港区・外苑前・六本木・青山とお洒落な勝手なイメージがあるので、予想外の景色が見られて良かった。都内を散歩すると結構こういった景色は沢山あり、自分の固定概念がいかに邪魔をしているかを認識させられる。

                    六本木ヒルズ

                    結構この対比も好きです。
                    実家の近所にも同じような対比(田んぼと高層ビル)が有り、都市としての対比の他に自身の地域の対比もあって楽しめます。

                    六本木に移動して、小さな建築のスタディーへ。
                    会場が道路に無防備に面していて少しびっくり。

                    会場はワンルームで12m×5mくらいかな?スケール感が無いので適当です。
                    そこに30cm角、高さ1.2mくらいの土台の上に模型が置かれているものが、3×5列?ある。壁面はそれぞれの提案を書いたA3の青焼きが貼ってある。半数くらいが図面で、しかも実務で使用している図枠を使っているのが面白かった。

                    提案はコンセプト重視のものから現実的なものまで様々。提案の仕方も概念的な絵から詳細図まで様々です。自分が若い頃ならばコンセプト重視の表現でも納得行ったのかもしれませんが、現在では表現されていなくても詳細まで落とし込まれた上で出てきた提案の方が納得できます。

                    ここでも「自分だったら」と考えながら見て、途中で震災に関連した展示なのだと気付いて、展示内容がコミュニティを促すものが多いのに納得しました。
                    確か25-40歳くらいの年代で構成されているので、正直「何?」と思う内容もありました。その反面確実に自分ではやらないであろう内容に学ぶ所はあると思います。

                    ここでも納得の行った展示は五十嵐淳と長谷川豪です。

                    五十嵐案は仮設住宅と言うか、住宅とテントの中間のもの。
                    スペース的に仮設レベルに抑えられているが、常設の建物にも転用できる内容。外部に張った膜はガラスでは出せない距離感がある。なんとなくモンゴルのゲルを想像したけど、よく考えたらあまり共通がないような気がする。
                    五十嵐案は模型も現実的で解り易かったが、A3の提案書が良かった。他の作品でも同様な過程を経て実現に至っているのだなと想像できる。

                    一方の長谷川案は一見するとファンタジー溢れると言うか、女性的と言うか、ストーリーがしっかりした提案。
                    図面を見ていないから当たり前だが、模型だけを見ると意図は伝わるが目的がわからない。しかしその後、提案書を見ると全てがまとまり、模型が唯一のものになる。見積書も含まれているので、想像の世界から一気に現実のものになっている。

                    キュレーターの意図なのか、全ての提案書が青焼きだったのは最後まで謎だった。提案内容を見ていると、最終の出力形態を理解していない人がいたのではないか?カラーで表現しようとしていた提案が何案かあって「何故青焼きで?」と感じた。
                    また、青焼きならば手書き重視で見たかった。青焼きでは設計者としての「線」が無防備に出てくるので、センスではなく技術が見られる。最近大学を出た人とかは描けるのかな?
                    ついでに言うと、受付の机には全ての提案書が綴じられたA3の冊子が有ったが、せっかくの青焼きなのだから出版物として販売して利益を募金すれば良いのにと思った。青焼きなんて原価が掛からないし、このような展覧会に来る人間には貴重な出版物なので購入する人は多いと思う。

                    その後、気持ちとしては外苑東通りを通って浜松町の方に抜けたかったのだけど、なぜか麻布十番・東麻布・芝公園と抜けて浜松町へ。麻布十番では面白そうな建物が竣工間際。年内の雑誌で出てくるか楽しみです。
                    所々で優等生的な建物を参考に見ながら、途中の芝公園付近で面白そうな建物が。
                    芝公園
                    よく見ると住宅みたいだけど、違うかもしれない。
                    近くで見てタネを知ると何でもないけど、200ピッチの持ち網鉄筋に白い何かを吹付けて外壁にしています。完全に化粧なので、下にしっかりと外壁があります。
                    遠くからだとぼやけて見えて、木々の多い公園付近にあるので、建物の存在を上手く消して一体化しています。赤羽橋付近で建っているのが違和感ありました。

                    蛍・納屋を焼く・その他短編

                    0
                      蛍・納屋を焼く・その他短編 - 村上春樹
                      ISBN:978-4101001333

                      タイトルから解るとおり短編集です。確か7つの作品が収録されています。
                      どれも独立していて、収録作品の中では相互関係していません。
                      しかし「蛍」はノルウェーの森の元になった短編で、「納屋を焼く」はダンス・ダンス・ダンスの発想の基になったのではないかと言われています。

                      蛍に関してはそのまま「ノルウェーの森が始まるのではないか?」と思うくらい一緒です。恐ろしいくらい一緒です。素人考えだと、長編にする時に少しは書き換えると思うのですが全くしていません。むしろ元々長編があって、その宣伝として短編を出した感じです。しかしその短編だけでも読み物として完結しているのは流石です。

                      他の短編も相変わらず非現実で面白い。恐らく何かしらの暗喩が含まれていると思うが、単純に「本当にこんな生活したら楽しそうだなー」と思うくらい非現実。村上春樹の短編はこういった何かしらのユーモアと言うか遊びがあるので読みやすい。極端に言えば長編と短編では違う作家の様に読める。

                      長編は長編で好きで、とめどなく読めてしまうのだけど、一応は気構える部分が有る時も有る。短編では何故かその様な事が無いので、気軽に手を出せる。文章が上手いだけあって、時々「気楽に書きすぎているのでは?」と思わせる文章も有るけど。

                      | 1/66PAGES | >>

                      calendar

                      S M T W T F S
                      1234567
                      891011121314
                      15161718192021
                      22232425262728
                      293031    
                      << January 2012 >>

                      selected entries

                      categories

                      archives

                      recent comment

                      recent trackback

                      recommend

                      和平フレイズ ほんわかふぇ スタンド付七輪 HR-8950
                      和平フレイズ ほんわかふぇ スタンド付七輪 HR-8950 (JUGEMレビュー »)

                      肉・魚・野菜を美味しく焼くならやはり七輪。
                      一家に一個。

                      recommend

                      かいしゃいんのメロディー (1)
                      かいしゃいんのメロディー (1) (JUGEMレビュー »)
                      大橋 ツヨシ
                      4コマと言って侮れない。
                      センスを感じる一冊。

                      links

                      profile

                      search this site.

                      others

                      mobile

                      qrcode

                      powered

                      無料ブログ作成サービス JUGEM